KISSの軌跡

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KISSの軌跡

KISSの軌跡

3回にわたり書いてきたKissの最後であろう

来日前の私自身の確認で書いてきたブログも

今日で完結しようと思います。

KISSの軌跡

何と響きが良いんでしょう

少し長くなる予感がしますがお時間があれば

最後まで読んでみて下さい

前回と前々回の記事をこちらにURLを貼り付けましたので

気になる方はぜひ!そちらも読んでみて下さい。

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波乱万丈

KISSの軌跡を追っていきましょう

さて!いよいよKISSが低迷期になった80年代に入ります。

1979年に発売されたディナシティー(地獄からの脱出)の頃は

殆どと言って良い程メンバー4人でレコーディングは有りませんでした。

ドラマーのピーターは多分自分の曲以外は参加していなかったと思います。

代役のドラマーはアントン・フィグでした。

客観的に見るとピーターが波乱万丈の張本人だったようです。

そしてKISSは、まだまだポップ路線の魔法が消えないまま80年代に突入します。

KISSの軌跡

ピーター脱退

この年にニューアルバム(仮面の正体)Unmasukedをリリースしますが

ピータークリスの薬物依存症もこの頃には相当酷かったようで

ピーターを抜かしてメンバー3人とマネージメントで話し合い

ピーター・クリスの事実上の解雇が決まります。

一応契約の関係でシングルカットされた曲シャンディーのプロモーションに

出演はしております。

この時の代役のドラマーは前回のアルバム同様アントン・フィグでした

さて!仮面の正体を発表したのは良いのですが以前のようにヒットはせず

人気がどんどん下降の一途を辿ってしまいます。

正に波乱万丈だった時代です。

この頃からKISSは益々低迷期に突入してしまいます。

その後のバンドは3人での活動を強いられてしまいますが

ここで救世主のエリック・カーがオーディションによって

加入が決まります。

新たな旅立ち

ドラマーが決まりUnmasuked TOURと題して全米各地を回りますが

結果として元々人気のあった米国では大失敗で終わってしまいます。

主要マーケットの日本とアメリカでの人気は下降してましたが

逆にオーストラリア、ブラジル、ヨーロッパなどでは大ヒットを記録し

この時のオーストラリア&ニュージーランドツアーは

彼らの史上最も華々しいツアーと言われるほど大成功を収めます。

そうして次回作(1981年)Music from The Elder(エルダー・魔界大決戦)が発売になります。

KISSの軌跡

このThe Elderは元々『The Elder』というジーン原案の映画のために

楽曲を書き下ろしをしていましたが曲が完成と同時に映画が制作中止

折角の曲を無駄にしたくないマネージャーとジーンが

映画の本来のストーリーに沿った

コンセプト・アルバムをKISSに求めたのです。

グループの歴史上唯一のコンセプトアルバムでしたがジーン以外のメンバー

3人は乗り気では無かったと言われております。

この頃からエースがおかしな方向に進んでしまいます。

結局、後のインタビューであの作品は失敗だったと言っていますしね

エース脱退

そろそろポップスという魔法がKISSから消える気配がしてきた

1982年従来のハード&ヘヴィへの原点回帰を打ち出したアルバムが

Creatures of the Night(暗黒の神話)でした。

KISSの軌跡

前回のアルバム魔界大決戦の失敗、バンドの音楽性もあり

この頃にはエースはKISSというバンド自体に興味がなくなり

レコーディングには参加してません

代わりにこのアルバムではヴィニーヴィンセントやスタジオミュージシャンが

ギターを弾いております。

暗黒の神話でのエースの仕事は数本のPVのみの活動でした。

翌年の1983年エース・フレーリー正式の脱退です。

この頃からKISSというバンドなんだけどKISSじゃない

作詞作曲、レコーディングメンバーを外部から積極的に

入れていた時代です。

まっ!私の好きな頃のバンド形態でオリジナリメンバーが

2人脱退した頃のお話をざっとさせていただきました。

後は新たなメンバーの覚書のように

綴っていこうと思います。

この後どういう風に軌跡を残すのか

新たな音楽性

1983年のエース・フレーリーが脱退したとともに

バンドはギタリストを探します。

暗黒の神話で共作者兼レコーディングギタリストのヴィニーヴィンセント

まだこの時はメンバーではなかったのですが後に十字架男として(笑)メンバーになります。

急遽代役に抜擢されそのままメンバーって感じだったと思います。

本国アメリカ、日本でも人気は低迷のままでしたが

ブラジルのリオでの人気は凄くてコンサートでは

13万人を動員したと記録されてます。

肝心の本国アメリカでの人気がどうも回復しない

どうやったら回復するのか思案中に

ポールとジーンが出した答えが秘密裏にしていた

素顔を見せるという作戦に出たのです。

1983年、(LicK It UP)地獄の回想のジャケットには

素顔の4人が写っていました。

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ヘヴィーな路線で作られたこのアルバムは

丁度LAメタルブームが功を奏してまたKISSの人気を

じわじわと押し上げてくれたのです。

メンバーとアルバム

そろそろ端折るところまでやってきました(笑)

本当は1983年位からリアルタイムなのですが

創設時のメンバーとアルバムが好きなので

あまり面白いことは書けないと思います。

地獄の回想リリース後バンドは再び人気を取り戻すも

ジーンとポールは協調性がなく自己顕示欲の強いヴィニーヴィンセントを解雇することを決定します。

だが、後任が決まらず、ツアーのキャンセルもできなかったため、ツアー終了まではグループに同行することになる

1984年、ツアーが終了と同時にKissの低迷期から救い出した男ヴィニーが解雇となる

悲劇のギタリスト

急遽ギタリストを探さないといけない状態で

ポールのレコード会社の知り合いからの紹介で加入した

悲劇のギタリスト・マークセント・ジョンが新たに加入する事になる

KISSの軌跡

(マークは有名ギタリスト、アラン・ホールズワースのお弟子です)

そのマークが加入してリリースされたのがアルバムアニマライズ(Animalize)でした。

アルバムセールスは80年代最高の100万枚を超える好セールスで

アルバムの売れ行きも好調でツアー日程も出されていざ!

ツアー目前の時にギタリストのマークに異変が起きます

リハーサル中に難病による関節炎を発病してしまい

プレイすることが困難になってしまったのです。

悲劇のギタリストとしか言えない・・・

そのために新たなギタリストを急遽探さなければならなくなりました。

そこでポールやジーンとも親交があるギタリスト、ボブ・キューリックの弟の

ブルース・キューリックを急遽代役としてツアーに同行

無事にツアーは成功を収めました。

そのままブルースは正式メンバーに落ち着きます。

余談ですが本当は兄のボブが代役に私をと手を上げたそうですが

スキンヘッドはダメだとメンバーやマネージメントに言われてあっさり諦めたそうです。

かつらでも駄目だったのかな?

KISSの軌跡

正常に動き出す

1985年、ブルースが正式メンバーになり

バンドは正常に動き出しアルバム、アサイラムをリリースしました。

80年代はこのメンバーでKISSは落ち着きます。

1987年アルバム、クレージーナイトをリリース

少しソフト路線を意識した楽曲が時代にマッチして

アルバムは大ヒットをしプラチナアルバムを獲得しました。

その勢いでKISSは1988年4月に10年ぶりに来日を果たす。

この時に日本限定でベストアルバム、グレイテスト・キッスをリリースしてます。

1989年、原点回帰を目標にしたストレートなロックンロール・アルバム

ホットインザシェイドがリリースされます。

マイケル・ボルトンとの共作シングルカットされたForeverは高セールを収めました。

ホットインザシェイドのツアーでは若干集客数も減り

上昇したKISS人気も一段落したところで

ドラマーのエリック・カーが心臓血管に悪性腫瘍が見つかり入院をする

新たな旅立ち

エリック・カーの最後の仕事はビルとテッドの地獄旅行に提供されたゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユーが最後の仕事となりました。

1991年11月24日41歳という若さで他界してしまいました。
この時私は悲しくて耳にピアスを開けました。

そこで代わりのドラマーが今もKISSで活躍してる

エリック・シンガーになるわけです。

エリック・シンガーを迎えて1991年リベンジ(REVENGE)をリリースします。

13年ぶりに全米ビルボードTop200のトップ10入りを果たした。

1993年REVENGE TOURのライブを収録したAliveⅢのリリース

再びメイクを

1995年1月ジーン、ポール、ブルース、エリックこの4人で来日を果たします。

ツアー初日の大阪公演は、阪神大震災の一週間後で被災者に配慮して

炎の使用を控え武道館公演でリハーサルを録音し

ダイヤルQ2による被災地支援チャリティを行いました。

KISS Conventionというイベントもこの年でした。

戻ってきたあの時代

翌年の1996年にリリースされたアンプラグドアルバム

地獄の再開を切っ掛けに創設メンバーで13年振りにメイクを施して

ポール、ジーン、エース、ピーターによって

大規模なリユニオン・ワールド・ツアーが行われた。

まさに!昔のファンから言わせると「戻ってきたあの時代」

題して「ALIVE/WORLD WIDE 96-97」がスタートをします。

1998年創設メンバー4人の新作が噂される中

1998年9月22日にファン待望のNEWアルバム

サイコ・サーカスがリリースされる

なんと!このアルバムは全米初登場で3位を獲得しています。

アルバム・サイコ・サーカスの人気も相まって

サイコ・サーカスツアーは無事に幕を閉じた。

崩れる神話

2000年Kissは解散を宣言する。

解散ツアー・THE FAREWELL TOUR 2000-2001を開始

その年の10月にピーター脱退

ピーターは相当身体にガタが来ていたそうです。

ピーターの代わりには元メンバーのエリック・シンガーがピーターのメイクで復帰した。

2000年ソルトレイクシティ・オリンピックの閉会式にてロックン・ロール・オール・ナイトを披露

エース2回めの脱退

このソルトレイクシティの演奏を最後に契約切れのため

エースは脱退する。

エースは頑固なのでソロに専念したいという理由で

再契約はしなかった。

そこで代役に抜擢されたのがジーンのマネージャーをやっていた

そして元、ブラックンブルーのギタリストトミー・セイヤーがエースの代わりを務めることになる

ざ~っと

こんな感じで今のKISSはジーン、ポール、エリック、トミーと

変わること無く活動をしております。

かなり端折っては居ますが

自分自身の振り返りにやり始めた今回のKISSな話

コンサートへ行く方達は

最後の来日、生KISSを存分に楽しんできてください

最後まで読んで頂いた方にもお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

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