最後の来日

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最後の来日

最後の来日

Rockは良いね、特に70年代のRockは特に良い

そんなRockの中でも私はKISSというバンドが大好き

結成が1973年なので私が5歳の時からステージ上がってる

バンドの大先輩でもあります。

そんなKISSも今回の1日限りの来日が最後のようです。

メンバーの年齢が年齢なので仕方がありません

ジーン・シモンズなんて73歳だもの

その事を考えても最後の来日だと思いますね

そんな私は最後の来日には行く予定はありません・・

最後の来日

KISSの歴史

私が一番お熱を上げた初代のメンバーは

ポール・スタンレイ、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリス

ポールスタンレイの発案でKISSとして1973年に結成される

ロゴはエースが考案したと言われてる

1970年~1972年のポールとジーンが在籍していた(KISSの前身バンドWICKED LESTERも結構好きです。)

1973年1月初のライブ活動開始ライブをやる度に徐々に白塗りが増えて

後のあの歌舞伎のようなメイクに近づいてきたのもこの頃です。

最後の来日

チャンス到来

伝手があり後にKISSの歴史には欠かせない人物のエディークレイマー

のプロデュースにより数曲のデモテープを制作し

同年、これまた後のマネージメントになるビル・オーコインの働きによりメジャーデビュー、オーコインマネージメント所属のアーティストになる

ほぼ同時にワーナーブラザーズ傘下の当時は全く無名だったカサブランカレコードレーベルとの契約に成功する

ここからKISSの進撃が始まるのですが流石のKISSも最初からは売れなかったようです。

1974年にキッス・ファースト邦題・地獄からの使者でデビューを果たします。

ブレイク

ファーストアルバムの売上はイマイチでしたが

KISSのお家芸でもある綿密に組まれたライブが噂となり

徐々に動員数が増えてきたのもこの時期

1975年という速いペースでアルバムDRESSED TO KILL「地獄への接吻」をリリース

アルバムに合わせて大型ツアーのDRESSED TO KILL TOURを行う

ツアーを行う中で

何故かデトロイトで当時シングルカットされていないにも関わらずC’mon And Love Me「激しい愛を」をラジオ局がガンガン流し

KISSの人気は一気にブレイクします。

じつは、私はデトロイトでコンサートをやったからデトロイトで

人気が出たと思っていたのですが・・

デトロイトのラジオ局で曲を流したと言うのは知っていたのですが

まさか当時のデトロイトのラジオ局のお陰で人気が出たのは

正直知らなかったです。

デトロイトの恩恵

ツアー中デトロイトで人気が出てきた事を知り

小さな田舎町でのライブを全てキャンセルをし

デトロイトでの単独コンサートを行う事を決定する

場所はデトロイト・コボホール

それを収録してのライブ音源

そうあのロックライブアルバム史上最高と言われる

アルバム、地獄の狂獣・KISS Aliveが発売されます。

このアルバムの発売がKISSがブレイクする要因にもなりました。

最後の来日

全米チャート9位のセールス

すごい快挙ですね。それも難しいと言われた2枚組のレコードで

バラードで勝負

1976年にリリースされたアルバム(湘南爆走族にも出てくる)地獄の軍団(笑)

このアルバムからのシングルカットされたバラード「ベス」が

(全米チャート7位)と大ヒットします。

同年にリリースされたアルバム「地獄のロックファイヤー」に収録されてる

フォークバラード、ハードラックウーマンがシングルカットされ

ベスとハードラックウーマンでロックを聴かない人達にも影響を与えます。

KISSと言ったらハードラックウーマンと云う人も多いのではないでしょうか?

このハードラックウーマンのお陰で前座のバンドがメインアクターに大変身します。

KISSがボブ・シーガーの前座をしていましたが

ベス、ハードラックウーマンのヒットのお陰でボブ・シーガーがKISSの前座になります。

大ヒットって凄いと思わせる出来事です。

その頃からKISSは当時の若者達の心を鷲掴みし始めます。

そんな事とは知らず来日時のインタビューで

ポールはこう語ってます。

「日本でこんなに人気があるとは正直思わなかった」

ここから益々KISS現象が巻き起こるのです。

最後の来日

いよいよ日本で

そのKISSが初来日するのはこの翌年の1977年3月SNEAK ATTACK TOUR

と題して大阪厚生年金会館京都京都会館愛知県体育館

大阪フェスティバルホール福岡九電記念体育館

日本武道館昼夜2回の各コンサートは全て

超満員だった様です。

ということで

KISSの事になると色々と書きたいことが増えてしまうので

今日はここまでにしようと思います。

KISS最後の来日までには(笑)

書きたいことを全て書けると思います。

ま~誰も待っていないと思うけどね

次の1977年以降からKISSは少しずつ雲行きが怪しく

なってきます。

KISS愛は永遠なのです。

ではでは~また次回

 

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