
人生は清く正しく美しく
固定観念
ここ数日で私は柵とはまた違うが
自分の中にあった
固定概念のような物が外れた感覚がある
よくよく考えると、こうしないと!あ~しないと!
無意識にそう考え詰め込み
結局自分を虐めていたのかもしれない
自分自身が正しいと思う事は
決して他人や世の中に正しいと云う事ではない
その正しいと思う考えは自分自身の我なのであり
お互いの都合なのだ
相手の都合と他人の都合
以前新宿を知り合いと歩いてる時に
前を歩いてる女性がハンカチを落とした。
私はそのハンカチをとっさに手に取り
落ちましたよ
そう言って振り向きざまに迷惑そうな顔をされたことがある
こちらの脳内では「ありがとうございます」という言葉を想像してるのだが
有難うの言葉は無く、ひったくるように私の手からハンカチを奪い取り
早歩きで人混みに消えていってしまった。
機嫌が悪かったのか言葉が通じなかったのかハンカチを捨てたかったのかは不明だが
お互いの考えと感覚が違いすぎるとこういった事が良く起きる
その方の都合もある
どういう都合なのかはこちら側としては知る由もない
そうやって勝手に相手の出方を想像してしまうので
腹が立つし文句も出る
たしかに礼儀は大切なのだ
特に日本人は礼で始まり礼で終わる文化
そんな事をしてたらゆくゆくは自分本人が苦労するだけである
全く自分からしたら赤の他人なので
その他人に自分の考えや自分の常識を
相手に押し付けするのは疲れるだけである
自分が思う正しいことをした⇒お礼を言われる⇒期待値
これは強ち相手に自分の正義を押し付けてる行動なのかもしれない
もしかしたら自分だけの正義になってしまっている可能性もある
これもきっと固定観念なのだ
固定観念は捨てられない
自分の常識と云うのは
マイルールの様なものである
そのマイルールを目の前で他人が破ったら
腹が立つのである
他人がマイルールを破ったら腹が立つ?
では他人のマイルールはどうなるだろうか?
なんて最近は思うようになった。
他人は他人自分は自分
自分は他人にはなれないのだ
それを加味して人付き合いをしないと
いくら仲が良くても歪んだ形になってしまう
自分だけは大丈夫!
それは通用しないのだ
常に変化する現代社会
別にその現代社会の流行りに着いていかなくても良いと思うが
一歩外へ出たら自分が培った常識ではなく
現代社会の右へ倣えの流れの常識には到底勝てないのである
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